Monthly Whiplash

vol.177

Jun.2021

月刊「WHIPLASH」Jun,2021 Vol.177 この雑記は適当にダラダラ書いているので、
前回の原稿を渡した日(だいたい各月23日頃)の翌日から、約1カ月のことが出ています。
今回の場合は4月26日から5月24日までです。

先月、風邪を引いただけでも「ひょっとしてCOVID…?」と疑う自分

先月、風邪を引いただけでも「ひょっとしてCOVID…?」と疑う自分がいるなんて書きましたが、この件は数日経っても症状が改善しなかったので、内科に行ってきました。熱があるということで病院内に入れず、車の中で診察。「感染者との接触もまったく思い当たらないのだったら、COVIDらしき症状も出てないようだし、おそらく風邪だろう」ということでしたが、なんとなく気持ち悪かったので、念のためその場でPCR検査の予約をして、午後すぐに検査会場に行ってきました。翌日連絡があり、結果はまさかの「陽性」。ここ7~10日ほどの行動をいろいろ考えましたが、仕事の打ち合わせが1回。マスク着用、ビニールシートごしの打ち合わせで、その後取引先の人と3名で軽く昼食に行ったぐらい。その他スーパーマーケットとホームセンターにちょっとした買い物各1回、コンビニに2回。どこでどうやって感染したのかまったく不明。2週間さかのぼると、1回電車に乗ったのと、仕事の打ち合わせがてらの3名での短時間の会食が1回。とりあえず若干なりとも接触のあった人には連絡を入れて、人との交流を完全にシャットアウトしました。
以下、回復までの自分の症状を記しておきます。専門的な報告より、自分のような素人が、一般的な言葉で書いた方がわかりやすいかも。「怪しい」と思った時や感染してしまった際のご参考までに。自分が何かの症状について書くのは、「カバキコマチグモ」の咬傷以来か。

1日目:早朝に軽い悪寒→37度5分ほどの発熱→昼間は平熱に戻る→夜に再び37度5分を超える。(味覚・嗅覚異常なし。関節痛・頭痛なし)

2日目:普段はほぼ平熱→夜に37度4分。(味覚・嗅覚異常なし。関節痛・頭痛なし)

3日目:普段はほぼ平熱→夜に37度5分。自宅にあった解熱剤を服用。一時的に37度まで下がる。(味覚・嗅覚異常なし。関節痛・頭痛なし)

4日目:軽い咳→一日中37度台→夜に38度。自宅にあった解熱剤を服用。(味覚・嗅覚はフツーの風邪程度に鈍化。関節痛・頭痛なし)

5日目:朝から37度6分→近所のクリニックを受診。医師に「周囲に感染者はまったくいないが、念のためPCR検査を受けたい」と申請。認可されたので、指定された医師会による検査会場に。ちなみに認可がもらえないと民間の試験会場を探して行かなければならないそうだ。会場は風評を防ぐためにわからないようにされており、場所などの情報は一切口外してはいけないという条件つき。(味覚・嗅覚はフツーの風邪程度の鈍さ。関節痛・頭痛なし)。夕食後処方された解熱剤(アスピリン系)を飲むが、夜中に38度まで上昇。暑くて眠れない。この眠れなさは、この後約1週間続くことになる。

6日目(5/1):朝から37度4分→近所のクリニックの医師から「まさかですけど『陽性』という結果が出ました」と連絡がある。自宅療養指示。詳細は保健所から連絡があるとのこと。兵庫県の感染者に+1してしまった…といううしろめたい感覚。なんとなくぼーっとするが、それは朝に飲んだ解熱剤のせいなのか、ウィルス自体のせいなのか不明。(嗅覚はフツーの風邪程度の鈍さ。味覚は急激に低下。昼にレトルトのカレーピラフを食べましたが、スパイスの刺激はわかっても辛いとか甘いとかが全然わからず、すべてが苦く、ミョーに薬品ぽく感じられました。ためしにキシリトールのガムを噛んでみると、これまた甘みをまったく感じません。ハッカの葉をそのまま齧ってる感じ…。関節痛・頭痛なし)

午後、保健所から電話

午後、保健所から電話があり、症状についていろいろ尋ねられ、兵庫県のHPへの掲載を打診されました。でまあ、世間の役に立つならどうぞ、と。その際に聞いたのですが、このところ感染経路不明例がやたらと増えてるとのこと。自分も会食はおろか外食も控えていたし、店や取引先ではマスクを着用していたし、アルコール除菌もやっていました。しかし、行き届かない所もあります。たとえば電車内で手すりに持たれたとします。そこにウィルスが付着していたとして、帰宅後手をアルコール消毒したとしても、服のその部分は消毒してないわけで、着替えたりする時に、その部分を触ってしまい、そのまま何気なく顔に触れたりすると…などということも考えられます。それに飲食店でテーブルは消毒しても座席の座面までは消毒するのかな?もし座面にウィルスがついていたとして、何気なくそこに手をついて、その手で飲食とか、何気なくそこに鞄を置く、そして鞄を触った手で飲食…なんてことでも感染しないとは限りませんよね。
こうなると医療関係者のみなさん並みの注意が必要になってくるわけで、それを一般人が日常生活の中で徹底的に実践していくのは、不可能に近いことだと思います。これだけ感染が拡大してもお構いなしにぷらぷら遊んでる人もいる反面、気をつけていても感染してしまう例もあります。最近は少しマシになったようですが、感染してしまえば、経路や生活態度に関係なく、一律で「不届き者」とか「犯人」とか「悪」という世間の態度も気味が悪い。自分が感染してしまったからいうわけではありませんが、感染者が「悪」とか「ウィルスそのもの」みたいな見方、そう見られたり中傷されたりするのがつらいから本当のことが言えない…これも日本の対応の遅れにつながっているのではないかと思います。ちなみに自分は「陽性」通知後、周囲への注意喚起のためすぐに公開しました。数人と電話で話しましたが、「おおよそ罹りそうにない人がかかった」とか「新家さんがかかるぐらいだから、感染力、相当ヤバイんやないの?気をつけるわ」という反応でした。でも罹患しても無症状というある意味難儀なのもあるし…。
関節痛や頭痛はなく、味覚障害にかんしては、夕食の際の味噌汁のイリコ出汁の味はわかりましたが、他は一様に味気なく苦みをともなった感じ。嗅覚にかんしては、メントール系シャンプーで頭を洗った際、その香りがほんのわずかにわかるぐらい。「人間離れしている」と評判の自分の嗅覚が、著しく鈍化しました。ちなみに自分は単なる視力は昔からよくなく、嗅覚と聴覚が動物並みといわれています。夜にはまた38度を突破。

7日目:朝から38度2分。味覚と嗅覚は6日目同様。熱したフライパンに油を敷く匂いはわかる。咳が少し出る。とにかく熱がうっとーしく寝づらい。この日看護師協会から電話があり、アプリを引っ張って、一日2回症状を入力することになった。昼間は解熱剤のせいで下がっていたが、夕方38度3分まで上昇。これは過去最高値。そしてうたた寝から覚めると、頭痛がありました。関節痛はなし。食欲はないが、一応最低限(←体をぎりぎり維持できる程度)は食える。

8日目:7時と16時に体温や血中酸素濃度を計測しアプリに入力。ついでに各事項に回答し、気になることなども記載して通知する。すると看護師協会から内容確認の電話があり、アドバイス等を受ける。県から自宅療養者用に日用品や食料品の詰め合わせが届く。ありがたい。でも苦手な野菜ジュースがてんこ盛り…。夜は38度2分まで上昇。最後の解熱剤を服用。

9日目:朝から 37度7分。少しマシ。5分下がると随分違うものだと実感。味覚と嗅覚は少し回復。看護師協会からは「できるだけ食べて、とにかく水分を切らさないように」という指示。庭のニホンハッカの葉に触れると、独特の匂いがツンと感じられるのがうれしい。味覚はほぼ戻っておらず、味噌汁の後口がミョーに苦い。コーヒーが激マズなのも残念…。夜には38度5分まで熱が上がる。おかげで眠れない。10分ぐらい眠っては目が覚め、しばらく起きていて、いつしか少し眠るということの繰り返し。翌朝が思いやられる。咳はあまり出ないが、なんとなく胸のあたりが重い。わかる人にはわかる表現を使うと、寝ている間に、胸の上で2kgのネコが香箱座りしてる感じ。

10日目:朝から37度9分。解熱剤がなくなって2日目、一時的にでも熱が下がればモノも食えるし、眠ることもできるのだが、そうはいかないところが辛い。昨日なんとか人に薬の調達を依頼。快諾してくれたものの、いつ届くことやら…。GWなので近所のクリニックも休み…どうしようもない。タイミングは最悪である。我慢するしかない。味覚と嗅覚は昨日よりわずかにマシなったようだ。しかし夜はまた38度4分。2kgのネコはずっと香箱座りをしたまま。看護師協会と保健所に、病院での正式な検査を依頼する。先方も自分の熱が下がらないことを懸念していて、すでに検討していてくれた。隣市の病院が2つ候補に上がり、2日後そのどちらかで検査できるように調整するとのこと。

11日目:朝から37度9分。頼んでいた解熱剤や食料が届く。約60時間ぶりに解熱剤を飲み、そのおかげで昼間は少しラクに。しかし夜はまた38度を突破。そしてとにかく体の表面が火照る感じで、暑くて眠れない。10分落ちては目が覚め。布団をひっくり返したり、寝返りをうったり、保冷剤を替えたり…といったことの繰り返し。相変わらず2kgのネコは香箱座りをしたまま。

12日目:朝7時、37度4分。これは夜中の2時半頃に飲んだ解熱剤のおかげだと思う。また少し果物やら飲み物やらが届く。本当にありがたい。涙が出そう。味覚はまたほんの少しだけ改善した感じがする。嗅覚はもう少し回復したか…。午後から隣市の専門の「発熱外来」を受診。一般の駐車場の裏に設置された、外から見えない空間に車を入れ、車外に出ることを禁じられた状態で延々と待つ。しんどいと思ったら38度4分。CTスキャンと血液検査をやって、結果を説明され、ステロイドを処方されて帰宅。この日も相変わらず2kgのネコは胸上で香箱座りをしたまま。

13日目:深夜2時に急に熱が上がった感覚があり、解熱剤を飲む。しばらくすると意識がなくなり(つまり一瞬の寝落ち)気がつけば朝の5時30分だった。そしてそのまま8時頃まで深い眠りに。こんなに眠ったのは発症4日目以降初。実は前日の病院行きがすごく負担になっていたのです。自分で運転して往復(時間帯によっては片道80分ほど)しなければならないので、途中でぼーっとなったらいかんと思って、睡眠を3時間もとってないまま、解熱剤を飲まずに行ったので、それがわざわいして病院での検温では38度4分。13時に家を出て帰ったのは18時前。家まであと2kmほどになった頃、体は限界一歩手前になり、精神力を振り絞って運転してなんとか帰宅。帰宅後はさらに体温上昇。疲労感もただごとではなく、「俺、本当に大丈夫かな?」という弱気がふと頭をかすめたほどでした。そのたびに打ち消し、明日から導入するステロイドが事態を変えてくれるはずや!と自分に信じ込ませる。「病は気から」などと言うが、とにかく弱気になってはいけない。絶対復活して抗体を獲得してやる…と自分を鼓舞。

それはさておき、13日目の朝の熱は37度3分。

それはさておき、13日目の朝の熱は37度3分。夜中に飲んだ解熱剤の効果がまだ少し残っているようだ。朝食としてバナナを1本とゼリー。このところ飲み物はほぼスポーツドリンク。これの味はけっこうわかるのだ。そして処方されたステロイド(CTと血液検査の結果、肺炎症状が出ていたのと、C反応性蛋白の数値がかなり異常に上がっていたため処方されました)をザラザラッと12錠飲み、とどめに整腸剤。その後はずっと横になって読書に耽る。昼飯時に体温を測ると37度1分。解熱剤なしでは初めての低さでした。ちなみに昼飯も発症6日目以降、もっともおいしく、そして量も食べられました(発症以前の約2/3)。特に送ってもらったトマトやオレンジがおいしく感じられました。実は味覚が戻る前でも不思議とトマトの味だけはわかりました。なんかあの味に秘密があるのかな? まだ米やうどんの味はあやふや。そして特筆すべきはコーヒー。久しぶりに「苦いだけのダークブラウンの湯」以外のものに感じました。そしていつの間にか、ネコが胸の上からいなくなったのに気がつきました。これは肺炎からの回復兆候かも。同時に「ひょっとしてステロイドが早速効いた? 俺、快方に向かった?」という予感。調子は悪くないので、午後久しぶりにPCを立ち上げてメールチェックやらあれこれ。HPをチェックするとFBに「いつものユーザーさん」が、いいサイズのオーナマの写真を投稿してくれていた。うー、釣りたい!かりに釣れなくてもめっちゃ行きたい!というわけで、病気を治す気概が一気に急上昇(←われながらきわめて単純である)。結局この日は37度2分が上限。薬剤師さんが「ステロイドには炎症を抑える効能があるので、解熱効果も少しありますよ」と言ってたが、それのおかげかもしれません。しかし夜眠れない。でもこれまでの体の表面が火照って眠れないというものとはタイプが全然異なる。ステロイドには睡眠を阻害するという副反応もあると聞いていたが、それかもしれない。やっと眠れたのは4:30頃。

14日目:朝7時の体温は36度9分。朝食後ステロイドを服用(2回目)。この日の熱は36度8分~37度2分の間で安定。変動は時間的なものと、庭に水やりをしたためだろう。7日目からかすかに続いていた頭痛は完全に消えた。食事量が普段の2/3程度にまで増え、味覚と嗅覚はかなり復活した感じ。キシリトールガムを噛んで「ほとんどいつもの味やん!」と喜ぶ。こんなちょっとしたことが、めっちゃうれしい。医師は「ステロイドを服用すると、まんじゅうとか甘いものがほしくなりますよ」と言っていたが、そういうのはない。ただチーズを食べた後に、これまで以上に塩辛さが舌に残りました。ひょっとしたらこういうのがイヤで甘いものを欲するのかな?食欲増進という副反応も特に感じられないし、ムーンフェイスにもなってない。日付が変わってだいぶ経ってから眠りましたが、睡眠時間は珍しく4時間半ぐらいとれた気がします。ただ、奇妙なアニメ声が独白しているのがあちこちからさわさわ…さわさわ…と聞こえてくるという、オタクと無縁の人間としてはかなりキモチ悪い幻聴?体験をしました(←ステロイドによるものなのかは不明)。それを聞きながら、「これは眠りの中の出来事やんな。現実やないよな。俺、目は開いてないし真っ暗で何も見えてないし、かといって夢の中という感じでもないし…」などと考えていました。半覚醒状態だったようです。後日この話を渓流の師匠マオ先生にすると、「うへー、キモチ悪~ぅ!」と言われました。本格的なオタクでもキモチ悪いようです。

15日目:朝7時の体温は36度9分。体調は昨日同様。フツーに朝食をとって、またステロイドを服用(3回目)。時々ちょっと咳が出ることを除けば、発症以前の状態とあまり変わらない感じがする。この日は夕方の37度2分が上限。そして夜は少し低く37度を下回る。体は軽くなったので、手元の仕事や、復活後の釣行プランを練る(←調子がいいとすぐこうだ)。しかし、釣りに行くには低下した体力を戻さないといけない。

16日目:朝7時の体温は36度9分。咳は少し。深呼吸すれば軽く咳こむ。朝食をとって、またステロイドを服用(4回目)。ここ数日感じていたチーズを食べた後の塩辛さは消えた。体調は発症以前と大差ない。本日血液再検査があるので、そこで感覚的なものではなく数値化されたものが提示される。で、結果。各数値は良好な方向に。ステロイドのせいで血糖値は上がっているし、いわゆる普段とは何かが違うが、薬の注意書きに記載されていたような、むくみや顔が膨張するなどの副反応はない。顕著な副反応はなくステロイドはうまく効いてくれてるようだ。少し気になるのは採血後の内出血。これまで採血で内出血なんてしたことないのに…。とにかく残り6回の服用が終わったら、念のため最後の検査をおこなうとのこと。一方、保健所からは「ここ数日の状況や検査結果を考慮し、しんどくない範囲で通常の生活に戻ってもらってかまいません。日用品や食料品の買い物も仕事も、マスクやアルコール消毒といった通常の対策を施すだけでOKです」という解放令(?)が出ました。いろいろ底を突きかけていたので、まずは食料品の買い出しに行こうと思います。ちなみに自分の場合は、この時点で発症から2週間以上経ってるので、ウィルスはまだ体内に残っていたとしても、そいつらの感染力は「完全に消滅」しているとのこと。ところで抗体は獲得できたのかな? それを獲得できていたら、少し生き物として強くなった気分になれるので、苦しかった(←体もだが精神的に相当キツかった)日々がほんのちょっと報われるような気も…。

17~20日目:熱はステロイドを服用してからの数日と変わらず。咳は17日目からほぼ出なくなり、19日目には完全に出なくなった。思いっきり深呼吸してもむせることはなくなった。ただ、口内上側にざらっとしたような変な感覚があり、やたらとそこが乾く。それと喉の表面が乾く感じ。これはいわゆる「喉が渇く」という状態ではなく、すごく表面的にかすかな炎症が発生している感覚です。ちなみに今回の感染では関節痛・筋肉痛は一度もありませんでした。そしてステロイドによると思われる睡眠阻害もかなり減り、一日トータルで6時間近く眠れるようになりました。ちなみに自分が処方されたステロイドは一般名「デキサメタゾン(デカトロン錠)」で、イギリスで重症者の死亡率を改善させたと報告され、日本でも昨年夏に新型コロナ感染症治療薬として厚生労働省に承認されたものです。医師も「最近は『経口薬ならまずはコレ』と推奨されています」といっておられました。抗炎症効果に優れているそうです。といっても肺炎つまり肺の炎症を抑制する薬であって、ウィルスそのものをやっつける薬ではないようです。

自分の感染したものが従来型なのか、変異株なのかは不明ですが、時節・地域から推測するに、おそらく感染力・重症化力の強い変異株だったのでしょう。
「外出制限は解けたとはいえ、買い物とかしんどいだろうし…」と知人が食料品を届けてくれたり、食べやすそうな食品を送ってくださったり、他からも励ましをいただいたり、海外からも励ましの電話をもらったり、あえて全部は列挙しませんが、すべての方々に深く感謝しております。
味覚にかんしては、17日目から米の味がはっきりわかり、白ごはんと味噌汁という組み合わせがめっちゃ旨いというのが、至上の幸福のように感じられました。誇張でもなんでもなく、ごはんと味噌汁を食べるたびに涙がぼろぼろ落ちました。20目目の夕食以降、やっと白ごはんと味噌汁で泣かなくなりました(笑)。この時やっと感染以前と同量の食事を摂ることができ、思わず拳を握りしめて、小声で「やった…!」と呟きました。おそらく復活の予兆でしょう。嗅覚にかんしては、パンに塗ったバターが溶ける匂いが食欲を刺激した瞬間が、なんともいえずうれしかったです。そしてなんてことなく過ごしていた日常がいかに大切で、かけがえなのないものだったかを深く深く、本当に骨身に染みるほど実感しています。
体力回復のためには、ステロイドをすべて飲み終わってから、軽い内容でストレッチを開始予定。そして段階を経て元の体力を取り戻すべく、徐々に従来のトレーニングに移行しようと思います。これも体と十分相談しながらやろうと思います。見たところ筋肉はほとんど落ちておりませんが、やはり体の張りがなくなっています。
ちなみにステロイドとアルコール飲料は相性が非常に悪いので、一切口にしておりません。発症以降一滴も酒類は飲んでおりません。アスピリン系解熱剤もアルコール飲料との相性は非常に悪いそうだし。手の届くところにダーク・ラムが1本置いてありますが、それは諸事落ち着いてからということで…。自分は酒は好きですが、飲まなければいられないというタイプではなく、もちろんアルコール依存症でもないので、飲めない事情があれば1か月でも2か月でも半年でも1年でも、飲まずにまったく平気なのです。

22日目:朝7時の体温は36度8分。まあ、相変わらず感染前よりは少し高い。朝食後最後のステロイドを服用(10回目)し、午後から3度目の血液検査に向かう。結果。初回の検査で基準値の25倍以上になっていた「C反応性蛋白」が基準値の0.30mg/dL以下を達成。血糖値は少し高いとはいえ、前回よりは下がり正常値に近づいてきた(これはステロイドのせいなので、服用を終えると下がるから問題なしとのこと)。その他も上がるべきものは上がり、下がるべきものは下がり、基準値に達してないものもあるが、そこを目指してイイ方向に向かっているらしい。医師がいうには「微熱はあるものの、問診と血液検査のデータを子細に照会したところ、これでおそらく大丈夫でしょう。念のために頓服薬を10回分出しておきます。37度5分を超えたら服用してください。今回で終診とします。何かあったらまずは保健所に連絡してください。そうすればこちらに照会がくるシステムになってます。よくなって本当によかったです」とのこと。結局CTの結果は見せてもらわなかったし、聞きそびれてしまったので、自分の肺炎がどの程度のレベルだったのかはわかりません。医師や看護師さんに深く感謝して、少し晴れやかな気分で帰路につきました。

23日目:この日の体温は昼には36度6分。ほぼ平熱に近づいてきました。前日医師には「ステロイドのせいかどうかは不明だが、度のキツイ眼鏡をかけた後みたいな感覚が、眉間から額にかけてずっとある」と説明していたのですが、ステロイドを服用していた時に感じていた、この眉間から額にかけて何かが乗っかっているような変な感覚が完全に消えました。やはりこれはステロイドの副反応だったのでしょう。この日は用事で往復で1時間ほど歩きましたが、発症以前よりややしんどく感じました。マスクをしていたせいもありますが、少し肺機能が低下している感じです。タバコを1日1箱以上吸ってた時代に、急いで歩いたり軽く走ったりすると「少し胸のあたりが圧迫されるかな?」という感覚がありましたが、それのもう少し軽いレベルです。昨日の採血後は内出血まったくナシ。諸事順調な方向に向いてるようです。発症から23日、まだまだ完全復活とはいえません。今回のステロイドもけっこうキツイ薬らしいので、服用が終わったからといってすぐに副反応から解放されるかといえば、そうでもない例もあるようです。とにかく当面は無理せず、体や心と相談しながら日常を取り戻そうと思います。
*ステロイドによる睡眠阻害は24日目にかなり減ったように思います。途中何度か起きましたが、やっと6時間以上眠れました。
*喉の炎症は25日目からだいぶ感じなくなりました。咳も特に出ないし、体はこれまでより軽い感じ。ステロイドを最後に服用してから88時間経つので、そろそろ大丈夫だろうと思い、恐々約30日ぶりのビール(350ml。ダーク・ラムはまだ怖い)を飲んでみました。意外に酔うこともなく、何事もありませんでした。ただ翌朝、超軽度の二日酔いみたいな感じがあったかな…。

後遺症について

新型コロナ感染症の後遺症については、倦怠感や筋肉痛、筋力低下、睡眠障害、脱毛、頭痛、息切れ、嗅覚・味覚異常、食欲不振、喉の痛み、眩暈、微熱、思考力低下などが報告されています。自分は今のところ、顕著な後遺症はありませんが、喉の軽い痛み(ちょっとした炎症が表面的に起こっている)と微熱(36度台後半~37度)が続いています。ステロイド服用中は夜に4回ぐらい目が覚めてましたが、最後の服用から6日目にそれもなくなりました。嗅覚や味覚の異常はありません。これらは完全回復です。食欲は25日目にほぼ完全に戻りました。筋力低下は運動不足ゆえ…といったレベルです。いつもやってた拳立て60回なら特につらくもなく息切れもなくできました。しかし普段やってた拳立て後の肩のトレーニングは、なんかしんどそうでやる気がしませんでした。筋肉自体はそれほど落ちてませんが、やはり体は少し小さくなり、張りがなくなりました。後日肩周りのトレーニングをやってみると相当キツく、元に戻すには3週間以上はかかるなあ…と思いました。3週間以上何もしてなかったわけだし、しかも物もロクに食えないという状況が10日ほど続いていたので、それは当然のことでしょう。一気に戻そうと頑張るといろんなところが壊れると思うので、ゆっくり時間をかけます。「1か月で完全復調」を目標にします。
なんらかの変化があれば、また記述します。感染から回復しても、後遺症がけっこうな期間が続き、日常生活に支障をきたすことが報告されてます。そういう患者を「LONG COVID(ロング・コビット)」と呼ぶそうです。コロナ後遺症のある人がワクチン接種により、症状が改善したという例も報告されています。

自分はこうやって一応回復しましたが・・・

自分はこうやって一応回復しましたが、母親は残念ながら帰らぬ人になってしまいました。発症が自分より一日弱遅れなので、自分がウィルスを持ち込んだのか…と深く悩みましたが、医師によると感染から発症までの時間は人によって違い、一概にはいえないとのこと。母も買い物に出たり、電車で習い事に行ったりしていたので、外出頻度は自分と同じぐらいでした。一緒に検査を受けた時は、自分の方が症状が重く、医師に「お母さんは血液も正常だし肺炎症状もまったくない」といわれて「そうか、よかったやん!」と喜んだのですが、その時医師がきっとこちらをふり返って「血液にも異常反応が出てるし、肺炎症状にもなってるし、危険なのはあなたの方なんですよ!」と釘を刺されました。
母は気はしっかりしていたし、それほどしんどそうでもなかったのですが、食は細っていたので、葛湯とか作ったり、食べやすい料理を作ったりして食べてもらっていました。しかし自宅療養では何かあった時どうしようもないので、急変した場合のために、病院を探して安全のため入院してもらいました。2日ほどは「ヒマやわ」とちょくちょくいって電話してきたりしていたのですが、それから間もなく急激に肺炎が発症し容態が一気に悪化しました。最新の治療を最善の努力でやってもらったのですが、もはやいかんともしがたく…。それでも面会に行った時には喜んでいろいろしゃべり、しゃべりすぎて喉が渇くとか、医師も看護師さんもホントにいい人たちで過ごしやすいとか、心地よさそうにしていたので、「あんまり俺が長居すると話しすぎて疲れるやろうから、今日はそろそろ帰るわ。また明日でもいつでも来るから、とにかく養生してよくなって帰ってきてや。ちゃんと玄関にスリッパ揃えて置いてあるからな。じゃあおやすみ!」と言って部屋を出たのが最後になりました。この面会の際には、すでに自分は保健所からに日常へ復帰OKの解放令をもらっていたので、それを話すと手放しで喜んでくれました。また明日にでも…と言いましたが、その明日には血圧も下がり、手の施しようのない状態になり、夜になって病院から「今すぐ来てください」と言われ、車を出す準備をしていると、また電話が入り「たった今心臓が停止しました」と。とにかく自分はそのまま病院に向かい、所定の手続きを経て看護師さんたちと同じ装備に着替え、病室にはいりました。さいわい母親は気持ちよく眠っている顔だったので、ほんの少しほっとしました。看取ってくれた看護師さんたちに聞くと、一切苦しむことなく、眠ったまま心臓が止まったとのこと。「ある時眠りについて、そのまま目覚めることがないのが死だ」という表現を聞いたことがありますが、本人もきっとそんな感じだったのでしょう。今も夢の中かもしれません。まだ死後硬直してなかったので口をつむらせ、しばらくふたりきりにしてもらって、これまでの親不孝の詫びと、数えきれない感謝を伝えました。そしてまずは魂だけ家に連れて帰りました。
翌日は火葬に関することで、葬儀会社の人も交えて会いましたが、コロナ感染症の場合、本来の営業時間外に火葬してもらうことになるし、骨上げもできません。宝塚はまったく空きがなく、3日間待たなければならないということだったので、2日待ちでいける隣市の斎場にしました。そして最後に通路で納棺された状態で、透明のシートごしに顔だけ見て、お別れと感謝を伝えました。本当に穏やかな寝顔で、声を掛けたら目を開けてくれそうでしたが、それはもう叶わぬこと。とにかく自分が体力を取り戻し、快活さを取り戻し、日常生活に復帰するのを見てもらうのが一番の供養だと考え、暮らしていくつもりです。そうは決意して頭は切り替えたものの、夕食を作る時などには、「なあ、おふくろ。晩のおかず何を食べたい? ほしいもん作るで。あとでトマトも食べる?1/4にする?それとも半分食べられる?」などと独り言を言い続けている自分にふと気がつきます。

母の妹のひとり、つまり叔母なのですが、自分にこう言いました。「もしあなたが帰らぬ人となって、お母さんが生き残ったらどうなったと思う? 絶対お母さんの精神はその状況に耐えることはできないと思う。おそらく悲しんで悩んで気が狂わんばかりになって、すぐ後を追ってしまう事態になったと思う。あなたはこうやって生き残ったんだから、とにかく気をしっかり持ちなさい。親より先に逝く不孝だけは免れたんだから…」。そういわれてみればたしかにそう思います。もし自分が先に逝ったら、おふくろの心は絶対に耐えられないと思う。ものは考えようです。ネガティヴなスパイラルに巻き込まれないよう、わずかなことでもプラス思考に転じようと思います。叔母の言葉が深く心に沁みました。

最後に母親になにかしてやれることはないか…?と思い、あれこれ考えていたら、ふと自宅療養中に「山芍薬(ヤマシャクヤク)がきれいに咲いたねえ。これは枯らしたらあかんよね。毎年こうして咲いてほしいねえ」と庭のヤマシャクヤクを見ながらうれしそうに言ってたのを思い出しました。入院する時もその花に送られ、お骨になって帰ってきた時にもまた別の花が咲いていたので、ヤマシャクヤク迎えられた感じ。そんなわけで問題なければ戒名に一字入れてもらおうとお寺さんに頼むと快諾してくれました。ウチの庭に咲く花では、母は年間を通じてヤマシャクヤクが一番好きでした。逝ったのがたまたまその花の時期。この花を見たらいつでも母を思い出せるように、記念と自分の思いを込めました。

数度病棟に入れてもらいましたが、その時は当然自分もTVで見る看護師さんや医師の方々のような、あの恰好になります。使い捨て手袋2重、使い捨てガウン、専用マスク、さらにフェイスシールドとキャップ。合間にたっぷりのアルコール消毒5回ぐらい…。コロナ感染症病棟は、かりにそこに人がいなくても、異様な緊迫感が渦巻いていました。少しわかりやすく表現するなら、時々漫画で不穏な雰囲気を象徴するために「オ オ オ オ…」と背景に書き込まれていますが、まさにあの感じです。病棟の入り口に立った途端、なんともいえない感覚に支配されました。そして中に入り、現場の緊迫・逼迫具合を肌で感じました。何人もの看護師さんが泣きはらしたかのような目で、それでも必死に働いているのを見ました。そこで働いておられる方々に、自分なりの最大限の感謝と敬意を表します。
「容態が一気に悪化」。看護師さんたちとその話をしたのですが、彼女たちも「予期せぬ急激な悪化というのが、最近のコロナ感染症の特徴でもありまして、元気でわりと普通にしていた患者さんの容態が突然悪化し、そのまま治療のかいなく亡くなってしまわれるという状況が増え、本当に胸が押し潰されそうです」と涙ながらに話しておられました。また症状も一定しません。共通項もあるようですが、自分や母のようにまったく筋肉痛も関節痛もない場合もあるし、微熱でも全身が痛くて動けないという話も聞いたことがあります。それと熱が38度5分もあったのに、頭はぼーっとせず、風邪でそれだけあればもっとしんどいはずなのに、意外なほどフツーにしているという気味の悪さがありました。体は重症なのに、脳はそうと認知しないという奇妙な傾向もあるようです。これは非常に恐ろしく、手遅れになる一因だと思います。母の場合も最終的に肺がすりガラス状に見えるというどうしようもない肺炎になったのですが、本人は「なんかね、ちょっと息苦しいねえ」なんて言っていて、自分が「ウチに来た頃のデン(←21年間一緒に暮らしたネコ)が胸の上でとぐろ巻いてる感じとちゃう?」といったら、「そんな感じかもねえ。デンやったらいいんやけどね」なんて言って笑っていました。看護師さんはこの件にかんして専門的な用語を使っておられましたが、自分はその場でのうろ覚えなので、混乱を避けるべくあえて使わないでおこうと思います。
当面の自分の使命は、今回自らが経験した症状や治癒にいたる一連の出来事、この病気の不気味さと恐ろしさ、そして実際にこの目で見て肌で体験した医療現場の逼迫、そこで懸命に働いておられる医師や看護師さんのことを伝え、より一層の注意喚起をうながすことだと考えております。みなさん、くれぐれもお気をつけください。

ところで重症者の定義ってご存知ですか?メディアで発表される重症者数が異様に少ないと思いませんか?重症者の定義は1.集中治療室(ICU)で治療中、2.人工呼吸器を使用、3.体外式膜型人口肺(ECMO)のいずれかに該当する場合だそうです。ということは、容態が悪化してもそういう器具を使えない自宅療養者は、重症者に該当しないということになってしまうようです。
そしてふと思います。「本当に日本はこの状況でもオリンピック、パラリンピックを開催するつもりなのか?」と。それと感染対策も目先すぎだったり泥縄的だったりするのではないかと…。

秋にリリース予定のDISTURB’WIRE 105

秋にリリース予定のDISTURB’WIRE 105は、腹のフックとリアフックの間にブレイドがついています。開発時には寡聞にして知らなかったのですが、実はこの位置にブレイドがついているルアーは、すでにNISHINE LURE WORKSさんがリリースしていました。それを知ったのは、『WALTON』のK氏からの電話でした。チェックしてみると、接続方法は違うし、特に問題はなかろうと…。しかし、先方がすでにリリースされている以上、やはり挨拶しておくのがスジだろうと思い、まずは共通の知人を介して連絡を入れ、のちに西根さん本人に直接連絡を取り、当方の意向を打診しました。で、問題なくうしろめたさもなく、リリースできる運びとなりました。西根さん、ありがとうございました。で、次のシャッドペンシルにも、このスタイルを導入する予定です。西根さんとメールでやり取りしていると、『TACKLE BOX』誌の話が出てきました。自分も時々出ていたし、彼も連載しておられたそうでうす。懐かしい。

『TACKLE BOX』誌といえば

『TACKLE BOX』誌(以下TB誌と略)といえば、特に初期は手作り感いっぱいの楽しい雑誌でした。当時の自分は、ライギョ釣りやバス釣りはやっていたものの、釣具屋さんにしょっちゅう行ってたわけでもなく、ルアーも手持ちのものでやっていた状態で、スプリットショットリグやマスバリさえ知りませんでした。
偶然知り合った人から、ルアーのプロショップ(個人店)を紹介されて出入りするようになり、いつしかTB誌も買って読むようになりました。そのうち記事を書いたりすることになりました。その初回コンタクトにかんしては、今でもよく憶えています。たまたま自分が店で買い物をしていた時に、TB誌の広報担当の方(たしかイラストでは頭が光っていた…平松さんでしたっけ?)が電話してきていて、「そちらで何か記事になるようなこととか人物とか心当たりありませんかね?」と尋ねたようで、その時ショップの人が「90cmを超えるライギョを年に10本以上釣ってる大学生がいる。ついに1mのも釣った。釣りの腕は保証する。ちょうど今店に来ている」と答えたのがすべての始まりでした。で、おだてられ記事を書いて、いつのまにやら…。でもこれがなければ、ずっと親交のある富山のセンセーとも会えなかったかもしれないし、その他諸々、自分の人生を変える様々な人たちとも会えなかったかもしれない。TB誌は、ただただお魚釣りが好きでモノを作るのが好きなだけのガキに、外の世界に目を向ける契機を与えてくれました。ただ自分はライギョのフォトダービーとかには一切出てなかったし、その存在すら知らなかったので、そちらに出ている人からは「なんだ、こんなヤツ見たことも聞いたこともないぞ。どこの馬の骨だ?どうせフェイクだろう。こんなロック系のヤツが釣りなんて上手いはずがないし、体も細いしタックルを使うパワーだってあるはずがない」という反応もあったようです。ごもっともです。それに外見上は反論の余地なしです(苦笑)。たしかに長髪気味で細かった(当時は53kgぐらい)です。でもまあパワーはけっこう人並以上にありましたよ。ちなみに現在は61kgぐらい。長い年月をかけて少しずつ、ほぼ筋肉で増やしました。もちろん腹はまったく出てないです。

閑話休題。なにはともあれ、TB誌は現在自分がこんな仕事をしている、その契機の第一段階を作った雑誌であります。第二段階を作ったのは主に『ROD&REEL』ですけどね。それと学研さんの『釣りトップ』も第二段階初期を作った雑誌です。
2度ほどTB誌の編集部に遊びに行ったことがあります。自分に似つかわしくないイチゴの乗った生クリームのショートケーキを出してくださったのを憶えています。2度目に行った時には、異様に大きく写ったバスの写真(そこに記載されてることが事実なら軽く日本記録)がFAXで届いていて、それを見せられた記憶があります。荒れてるし見づらい絵でしたが、個人的に45cm未満の魚の写真を加工したな…と思いました。現在のようにPHOTOSHOPなどなく、イスラエルのサイテックス・レスポンスシステムが導入されていた時代。でも製版関係のオペレーターなら写真加工はできるし、ひょっとしたらそういう職業の人がやったのかな?…と。その判断を下した根拠は体の大きさと目の関係、魚を置いた地面の荒さ等でした。たしかその時、河辺さんからも編集部にその件で電話が入り、編集長の北越さんと話をしているのが聞こえてきました。「新家くん、河辺さんと知り合いでしょ?彼もこの写真おかしいって言ってる」とのこと。あのシーン、懐かしいなあ。どの椅子に座って、どんな向きで会話したかもある程度思い出されます。
TB誌の編集部で一番接触があったのは藤本さんでした。いろんな話をしてくださって、楽しかったし、ためにもなりました。ある時電話で「新家くん、聞いてよ。○○さんにウチの雑誌への出演を打診したら、ギャラの問題が発生してしまって…。『オレは昔のオレじゃないんだよ!』なんて言われてさあ。たしかにウチはギャラは安いけど、ホントに昔からの付き合いだったから寂しくてね…」という話をされました。この時、自分はどんなことがあっても、そういう発言をする人になったらあかんな…と思いました。というか、発言そのものより、そう思う人になってはいけない…と。後に別のメディアでギャラにかんする問題が発生して、車まで出して取材を受けた自分に赤が出た…という事案が発生しましたが、その時は一切怒らず身を引きました。ずいぶん経ってから「手違いだった」という謝罪とも思われないレベルの電話が1本ありましたが、最低限のギャラもガソリン代もその後何ひとつも振り込まれることなく、それでも時々のうのうと原稿依頼があったりしたので、「自分はあなたがたを一切信用していない。すべてお断りします」と完全にシャットアウトしました。今思えば、これが自分が表に出なくなった契機のひとつでした。この言い方、ギャラがどうというより、実はすごく厳しいですよね。「信用していない」ですからね。事情を知らないVHさんの当時の担当(不始末・不義理のため後に退社)には「雑誌社に頭下げて頼み込んででも出てもらわないと困る。売れ行きに影響しますから。売るのは我々なんで」と言われました。そのくせ他のメディアから話が来ても、自分には何の連絡もなく、勝手に断られるという異常事態だったことが後に発覚しました。こいつにとっては、二言目には仁義だとか信用だとか言う新家邦紹という人間は面倒くさいだけなので、追い出して、その後どっかからライギョ釣りをやってる人を引っ張ってきて後釜に据えようという目論見だったようです。そして実際そういう動きは、自分からも少しだけ見えていました。自分もさすがにそのまま済ませる気にはならなくなっていたので、報復を考えていましたが、彼はこちらからの報復によって、敵に回したことを後悔し「相手が悪かった」と頭を抱えてのたうちまわる前に、前触れなくふっとVHさんから姿を消しました。まあカス野郎がいなくなってよかったんじゃないでしょうか(笑)。すみません。えらく話がそれました。
TB誌の話に戻ります。TB印の携帯用吸い殻入れができた時には、「友人や釣り場で配ってください」と段ボール箱いっぱい送ってきてくださったり、アットホームな感じで、とにかく編集部のみなさんにはいろいろお世話になりました。親父はその時の荷物の中に入っていたTBキャップがお気に入りで、山に行ったりする時にはいつもかぶってました。なんと遺影でもかぶってます(笑)。こんなことを書いてたら、本当に懐かしさがこみ上げてきます。実はウチにあったTB誌や『ROD&REEL』は、自分が留守にしていた時に、手違いで全部古紙回収に回されてしまい、1冊も残っていません。校正なら何枚か残ってたかな?
保健所からの解放令は出たものの、体力は低下してるし、ステロイドの副反応も多少あるし、かといって横になってばかりいるわけにもいかないので、PCに向かっていると、ホントにとりとめなく、ついうだうだ・だらだらと書いてしまいました。先に書きましたが、この時点ではまだ母は存命で入院しており、そちらが心配で仕方がないので、それを紛らわすためにうだうだ書いてたというのも事実です。

相変わらず釣り雑誌類はほとんど読みませんが、手作り感覚という意味においても、『WALTON』の今後に注目しています。商業主義に走らず、編集者自身が読みたいと思うものを作り続けてほしいです。

変わった位置にブレイドがついてるモデルといえば、

変わった位置にブレイドがついてるモデルといえば、その昔HEDDONに「DOWAGIAC SPOOK(ドゥワジャック・スプーク)」というのがありました。日本でも1980年代に売られていた記憶があります(新家所有の1981年のSMITHさんのカタログにも掲載されています)が、シンキングのジャークベイト系(ミノーではなく)なのはわかりますが、持ってないし使ったこともないので、どんな動きなのかは不明。物欲大魔王に尋ねたらわかると思いますが、それもなんとなく面倒くさいし…。バス用ではありませんが、背中にブレイドがついた「バックスピンジグ」というメタルジグが、石垣島のFISHERMANさんにありました。今でこそ海用のメタルジグでブレイド付きはたくさんありますが、位置はどうあれ、2003年頃にリリースされた「バックスピンジグ」は、いわゆるブレイド付きメタルジグの「走り」だったのではないでしょうか。

メタルジグと言えば「ディープゾーンでもキビキビ」とか、「ターンの後にどうのこうの」とか、いろんな表現がありますが、ワタクシはほとんど信用しておりません。だって70mでもけっこう水圧かかるし、そんな深さまで見えんもん(笑)。ただ「スライドしたな」とか、「抵抗抜けたな」というのはあるので、その感覚をベースにあえて水中をイメージすることなく、あれこれ考えることなく、手元に伝わる感触だけを頼りに操ってます。それでもけっこう釣れてくれるので、自分がやってることもあながち間違いではないだろうと思います。そしてあらゆる釣りのシーンにおいて、自分は考えてルアーを動かすということはやってません。ほぼ直感です。手が勝手に動くレベルです。なので2度と同じ動きを再現することはできません。心静かであらゆる感覚が冴えてる時にはこれがキマって、お魚が飛び出してきてくれます。

イスラエルとパレスチナのハマスの停戦にはほっとしました。パンデミック下における紛争には本当に心が痛みました。でもこのままずっと落ち着くわけないよなあ…。

中国もそうだが、日本でも何となくよからぬ動きが察せられる今日この頃。そう都合よくさせてはならないのだが、権力にモノを言わせると、民主主義なんて簡単に潰せるということは、これまで優しく緩やかに嫌というほど見せつけられている。

最近の!!な試合

★3団体統一(WBAスーパー, WBC, WBO) S.ミドル級選手権 サウル・カネロ・アルバレス vsビリー・ジョー・サンダース
サンダースはアルバレスが得意ではないとされるサウスポーでテクニシャンだが、正直相手にならないだろうと思っていた。見合うもののやはりアルバレスのプレッシャーは初回からかかっている。序盤ではサンダースが手を出す場面もあったが、手打ちだし、大きく降ってもキレはなく、アルバレスを警戒させるほどの感じはない。高度なやり取りがいたるところで見受けられるが、アルバレスの小さいアッパーやボディショットは確実にサンダースをとらえている。8R、サンダースが右フックを大きく空振りした直後に、アルバレスのアッパーが入り、ダウンこそなかったが、これが決定打となり、サンダースは完全に戦意喪失。アルバレス追うも倒しきれず。そして8R終了と同時にアルバレスの勝利が確定。こうなりゃ4団体統一戦を観たいね。

★UFC262 ライト級選手権 シャールズ・オリベイラ vsマイケル・チャンドラー
ハビブ・ヌルマゴメドフが無敗のまま引退し、混沌としてきたライト級。ベラトールからの刺客マイケル・チャンドラーとシャールズ・オリベイラの試合は素晴らしいものだった。オリベイラがチャンドラーのラッシュをどう止めるかという点に留意して観ていたのだが、グラウンド・コントロールの上手さと正確な打撃が、オリベイラ勝利の鍵となった気がする。個人的にはポワイエvsマクレガー3より、チャンドラーvsマクレガーを観たい。次点はオリベイラvsマクレガーか…。別にマクレガーが好きなわけではないが、勝とうが負けようが、独特の「華」があるからね。

★ベラトール259 女子フェザー級選手権 クリス・サイボーグ vsレスリー・スミス
このタフさは一体何だ!?とスミスには驚かされた。サイボーグの打撃をあれほどもらって立ってるとは不死身か?しかし、最終ラウンド終了直前、ついにパウンドの連打をもらってTKO。いやその前のダウン後の初回のパウンドで止めたほうがよかったのでは?レフェリーストップが遅かったのが少し怖かった。

最近の愛読書

★けもの道の歩き方 千松信也著 リトルモア
★ニホンオオカミは消えたか? 宗像充著 旬報社
★三河のオオカミ・山犬 今村豊著 文藝春秋企画出版部
★ニホンオオカミの最後 遠藤公男著 山と渓谷社
★オオカミ追跡18年 斐太猪之介著 実業之日本社
★熊を殺すと雨が降る 遠藤ケイ著 ちくま文庫
COVID-19で自宅療養中、本棚の本をあれこれ引っ張り出して読んでいました。病気の時は、なぜかこういう動物ドキュメントや小説、民俗学的なものを読むことが多いです。
★アマゾン、インディオからの伝言 南研子著 ほんの木
★アマゾン、森の精霊からの声 南研子著 ほんの木
★鳥のように、川のように 森の哲人アユトンとの旅 長倉洋海著 徳間文庫
★ヤノマミ 国分拓著 NHK出版
★ノモレ 国分拓著 新潮社
★狩猟に生きる男たち・女たち 高桑信一著 つり人社

最近の珍事件

★特になし
半覚醒状態で、あちこちから、さわさわ…さわさわ…と聞こえてきたアニメ声の独白(何を言ってるのかは聞き取れないがモノローグ調であった)が、非常にキモチ悪かったということぐらい…。

最近のお買い物

★特になし

SOUND CORNER Vol,177

『QUADRA』

SEPULTURA

「4」が根底にある。その件にかんしては、ライナーノーツやアルバムレヴューを参考にしていただきい。彼らはその昔、一介のブラジルのスラッシュメタルバンドであったわけだが、ここには音楽的にも精神的にも知的にも恐ろしく進化・深化した内容が提示されていて、それに対するこちらの表現力の不足を痛感する。激しく、美しく、オーガニックでありながら洗練されている

MY BOOK OF ANSWERS

最近の愛聴曲

BURN THE SKY / FLOTSAM AND JETSAM『BLOOD IN THE WATER』
BLOOD IN THE WATER / FLOTSAM AND JETSAM『BLOOD IN THE WATER』
※BURN THE SKY」に続く2曲目はタイトルトラック。めちゃめちゃカッコええ!
聴いた瞬間思わず拳を握ったほどだ。スラッシュメタル、いやメタルという広義においても、久しぶりにブチ切れたレベルに行ってる気がする。体内でうだうだ悪さをしてるウィルスが、木っ端微塵に砕け散りそうな爽快感だ! 2曲聴いただけだが、このアルバム、FLOTSAM AND JETSAMの最高傑作かも!?
全曲 / URIAH HEEP『LOOK AT YOURSELF』
THE PARK / URIAH HEEP『SALIBURY』
※その昔、多分自分が大学生だった頃、部屋でこの曲をかけていると、洋楽にまったく興味のない母が、ひょいとのぞきこんで「それ、いい曲やねえ」と言ったのを思い出します。
I WISH YOU WERE HERE / PINK FLOYD『I WISH YOU WERE HERE』
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