海外逃避行
2013 Ecuador
2013 Ecuador
エクアドル
旅程
[Flight]
Itami(ITM) x Narita(NRT) — ITM 08:15 - NRT 09:35
Narita(NRT) x Atlanta(ATL) — NRT 15:20 - ATL 13:34(日本とアトランタの時差は-14時間)
Atlanta(ATL) x Quito(UIO) — ATL 17:45 - UIO 23:06(アトランタとキトの時差は0)
Quito(UIO) x Atlanta(ATL) — UIO 00:29 - ATL 05:45
Atlanta(ATL) x Narita(NRT) — ATL 12:15 - NRT 16:35(日本とアトランタの時差は-14時間)
Haneda(HND) x Osaka(KIX) — HND 20:40 - KIX 21:55
まずはフライトが厳しかったです。伊丹発が早かったため、エアポートリムジンではなく、荷物を担いで引張って早朝の電車とモノレールで空港へ。そして帰りは成田から伊丹への便が取れなかったので、成田〜羽田はバスで移動。そして伊丹ではなく関空へ。その関空に着いて荷物を受け取った時には、すでに西宮方面行きの最終エアポートリムジンは出た後。仕方ないので尼崎行きの最終に乗って、JRで宝塚に戻って…なんてやってるうちに日付けが変ってしまいました。
さて、今回の旅行からゆえあって詳細なことは書かないことにしました。また写真点数も少なめにしようと思います。ホント概略だけにするつもりです。ちなみに同行はMIZ君。本職はダイバーで自然関係に詳しい人物です。
まずはエクアドルの首都キト。以前と空港が違うなあと思ってたら、霧の影響を受けにくい場所に新設されたのだとか。深夜にノルテ(北の意味。新市街)のホテルにチェックインし、早朝の出発まで仮眠。
翌朝、バンに荷物を積んで、標高2800mのキトからアンデスの裾野を緩やかに下降し、今回の最初の目的地「LC(ここすらも日本人が来たことはないとのこと)」へのセスナをチャーターしている空港へロングドライブ。空港に着いたら「まだ準備ができていない。1時間後でないと飛べない」と言われたので、近くの店で昼食をとって時間つぶし。
さてどんなセスナかなと思えば、これまで乗ったどのセスナよりも小さく古い。パイロットと我々2名、そして英語・スペイン語通訳兼ネイチャーガイドのセルヒオ君の4人でぎゅうぎゅう積め。自分たちの荷物は乗せられたものの、キャンプ用品や水が積めないので、それらを運ぶためにもう1往復するという。その古くて小さいセスナでジャングルの上を飛ぶこと1時間半、前方の川沿いに集落と軍の施設らしきものが見えてきました。ここが最初の目的地「LC」。当日はここから40分ほど川を下ったコミュニダド(昔からこの地域に住んでる人たちの小規模コミュニティ)に泊めてもらう予定。
それにしてもサンドフライ(ヌカカ)が多い。軍も併用する船着き場で川を眺めていると、露出部分に違和感。見ると蚊より二回り小さいサンドフライが複数吸血中。軍の若い連中もさかんに腕をはたいている。「サンドフライが多いな」と言うと、ヤツらも「ヒドイもんだよ」と苦笑い。時間があったので一応ワンタックルを組んでみたが、場所柄ここでは釣りは不可といわれる。軍の連中はたまに手釣りでナマズを釣ってるそうだが…。
数時間待った後でセスナが帰ってきたので、丸木をくりぬいたモーターカノアに荷物と人間を満載して、夕暮れの川を下って「J」コミュニダドへ。
晩飯食って、これから先の行動をともにする「J」コミュニダドの人たちと持参したロン(ラム酒)を飲んで、その夜は就寝。ここでひとつよくない知らせ。「水量が多いので最終目的地のDCには行けない。砂州が水没してキャンプできない」とのこと。「それに湖へと続く水路が増水してカノアが入れないだろう。あと2日ほどで水量が落ちるから、それまで待とう」とも。う〜ん、仕方がない。「この近所で釣りはできないのか?」と尋ねると、「近くに小さい湖(三日月湖)が3つある。魚は少ないけどそこなら行ける」という。で、翌日の午前はそこに入ることに決定。
現地2日目は「J」近くの三日月湖で釣り。熱帯雨林の中の水路というか蛇行したアウトレットを、木や枝や葉を分けながらカノアで進む。水路を塞ぐ倒木はマチュテや斧で叩き切る。この状況、ムクインが心配。三日月湖は本流同様ミルクティ状態。釣り始めるもアタリも気配もない。アマゾン水系でこんなに魚の反応がないのは初。ピラーニャ1匹反応しない。
かなりの時間が経過した後、やっと自分のトップにアタックあり。長くて白銀の魚がジャンプ。アロワナかと思ったが正体はPEZ MACHETE(ペス・マチュテ)。あのペイシェ・カショーハの仲間。そして次に出たのは全身が明るい金色に輝くサルディナータ。現地ではバカラウとも呼ばれている魚。よく走りよく跳ぶ。以前コロンビアで狙ったことがあるのだが、その時は不発。こんなところでお目にかかれるなんて。この2本の後は長い沈黙。別の三日月湖に入るも、こちらも食い損ねが1回で正体不明。とにかく魚影が薄い。ひょっとしたら浸水林の中に入ってしまってるのか。しかし浸水林から水が引く頃には、水路の水位は極端に下がり三日月湖にはアクセスできない。
昼食に戻るとセルヒオ君が「今日は午後からLCコミュニダドでお祭りがある。だからここのスタッフも何人かはそっちに行ってしまう」という。それなら釣りにならんやん。どうせ釣りにならないのなら、我々もお祭りに行くってのはどう?「もちろん歓迎されるだろう。じゃあみんなでお祭りに行こう。美人コンテストとかもやるらしいよ」…というわけで、午後からはモーターカノアで40分ほど川を上ったところにあるLCコミュニダドのお祭りにみんなで参加。
そこでは散々チチャ(ユカイモで作った酒。昔は集落の女性が唾液と混ぜ合わせて発酵させていた)を飲まされ、いろんな人たちとカタコトで雑談し、チチャどころかカニャやロンなどの強い酒も飲んで、女の子と踊ったりしていたら、いつの間にか夜明け。すっかり明るくなった中を「J」に戻るも、自分も含めて男は全員チュチャキ(二日酔い)で夕方までダウン。
現地3日目。朝食後即出発の予定だったが、肝心のカノアが戻ってこないので仕方なく待機。2時間後戻ってきたカノアに荷物を積み込み、下流を目指して出発。あれ?人数増えてる。スタッフはセルヒオ君と操船のハコブ君とウィリアム君、そのヨメのシルヴィアが料理担当で来るだけだったのに。まあシルヴィアの小さい娘は仕方ないとして、ハコブのヨメや子供たちまで。自分とMIZ君も合わせて総勢10名が、1艇の丸木をくり抜いたカノアにギュウ詰め(苦笑)。
昼前に下流の三日月湖に到着。というか、三日月湖の近くに到着。「ジャングルの中に踏み跡がある。それをたどって30分ほど歩けば三日月湖に到着だ」ということで、釣具一式とカメラバッグを担いで密林内へ分け入る。これもムクイン確実だ。やがて水面と水がたまったカノアを発見。水を掻い出し乗り込んで釣り開始。強烈に安定性が悪く、座って投げてもヤバイほどぐらぐら揺れる。もう1艇ボロカノアがあったので、ヒモでくくって横連結。これで釣りには耐えれる程度に。ここでは小さいし少ないながらもピラルクーの呼吸を目撃。1度、ミルクティ色の水面直下で衝撃と同時にピラルクーの横顔が見えたが、ルアーは口に吸い込まれず、完全な食い損ねに終わる。この分なら次があるかも…と期待したが、その後はなんの反応もなし。呼吸も見えなくなり、三日月湖は完全に沈黙。
遅い昼食後は隣の三日月湖をチェック。ここもウソのように反応なし。アマゾン水系やオリノコ水系の何カ所かで釣りをしてきたが、ここまで魚の反応がないのは初めて。やっと1度アタリがあり、いいサイズのペス・マチュテが釣れたが、その後はホントにアタリもカスリもせず。この夜は近くの砂州にテントを張って野営。
現地4日目。昨夕三日月湖に仕掛けた刺網を上げに行く。行く途中に25cmぐらいのトゥクナレがカノアに驚いてジャンプ。トゥクナレを見たのはこれっきり。たいていアマゾン水系で刺網をあげると魚が鈴なりになっているのだが、ここは20m以上の網にヤワラチが4匹とパクーの仲間(シルバーダラー?)が2匹、そしてマチュテのチビが1匹という貧果。ここでMIZ君とふたり確信する。釣れない最大の理由は「魚が極端に少ないこと」だ…と。
この日のうちに最終目的地「DC」まで行く計画を立てる。まずは「DC」に一番近い「V」コミュニダドにうかがい、この先に進む旨を伝え、ついでに食料のユカ芋を分けてもらう。ここでも少し寄るだけのはずが数時間。歓迎のチチャは各自どんぶり2杯。やっと出発し、そう遠くない三日月湖に釣りに行く。密林内の人間の小道というよりワンガナ(クチジロペッカリー)の獣道を釣具一式かついで歩く。泥地にヒヅメの跡だらけで歩きにくいし、ペッカリーの臭いが充満していて実に香ばしい。30分ほど歩いて湖に出たものの、つないであるはずのカノアがない。あちこち探すも見当たらず。どうやら増水時にどこかに流されたらしい。仕方がないので元気なくワンガナ道を引き返す。歩いて減った腹を満たすため、途中で岸に上陸して遅い昼食。栄養つけるためにチョンタ・クロ(ヤシの幹に住む幼虫)も。そしてさらに下流を目指す。
次の関門は軍隊。小規模部隊の駐屯地に寄り「DC」に行く許可をもらう。実は「DC」はペルーとの国境。軍の許可を得ないと入れないのだ。隊長をはじめ兵隊たちは好意的に迎えてくれ、ジュースまで振る舞ってくれたが、おしゃべりの隊長殿があれこれしゃべくりちらして解放してくれない。日頃話し相手が限られているせいか、我々訪問者は恰好のおしゃべり相手になってしまった。やっと解放されて、さらに川を下り、ペルーとの国境に着いたのは夕方。
砂州に荷物を上げて野営の準備はスタッフにまかせて、まずは水路の奥にある「DC」三日月湖を見に行く。これまでの三日月湖より圧倒的に広い。しかし湖岸線は変化がなくポイントはきわめて絞り込みにくそうだ。アウトレット近くに魚の波紋が出ていたのでルアー投げてみるが反応なし。1度小さいアタリがあり、25cm程度の細長い魚が食い損ねたのが見えたが、それっきりで水面は沈黙。着いて20分ほどで日が落ちたので、野営予定の砂州に戻る。
実はこの砂州はペルー岸。エクアドル側の砂州が湿っていて野営できないので、仕方なくペルー側にキャンプ設営。「ペルーの国境警備軍とか来たらどうする?大丈夫かな?」なんて言ってたら、一般住民が使うのと明らかに異なる船外機の音が響いてきて、本当にペルーの国境警備軍が旗を立ててやって来た。スタッフと少し会話していたがどうやらお咎めナシ。彼らが帰っていってしばらく後に銃声が熱帯雨林にこだましたが、いったい何を撃ったのやら…。
夜半にすごい雨音で目が覚める。元から少しは降っていたのだが、完全な土砂降りだ。早いとこ止めばいいのだが。
現地5日目。朝から土砂降り。さらに雨量は増え、ついに野営していた砂州に小さい川ができて、砂にしみ込まない雨水がテントめがけて流れてくる。慌てて砂を掘って溝を作って排水。前夜からの土砂降りにもかかわらず川の水位はさらに下がり、繋留していたカノアは完全に砂の上。しかし、本流の水位は支流の水を集め、間違いなく数時間で急上昇するはずだ。これは釣りどころではない。野営どころではない。スタッフと相談し、安全な「V」コミュニダドに退避することに。
やや小止みになった雨の中を「V」目指して帰る。残念ながら「DC」では釣りらしい釣りはできなかった。まあでもそこまで行けただけでもよかったのかもしれない。ペルーでも一泊できたし(笑)
雨の中を遡上中、川を泳いで渡る獣に遭遇。なんとジャガーだった。残念ながらカメラはバッグに入れたまま、さらに防水バッグ内。ベルトにつけていたコンパクトデジカメをONにするも起動の遅さが命取り。ジャガーはぶるっと身震いして水を切った後、深い密林に消えていった。目一杯ズームにして撮った画像にはかすかに足跡が写っていただけ。50m以上離れていたし、一眼でも厳しかっただろうなあ。
前々日野営した砂州の横を通ると、水位の上昇ですっかり様変わり。やっぱり丘の上の「V」まで戻らないと安心できない。夕方やっと「V」に戻り、晩飯を食べさせてもらい、寝場所として物置きに使われている棟を提供してもらう。
現地6日目。「V」で朝食の後、コミュニダド内の小学校を見学させてもらう。教室ひとつ、先生ひとり生徒5、6人のこじんまりした学校。「V」の人たちに泊めてもらったお礼をいった後、最初に滞在した「J」コミュニダドを目指す。その前にピラルクーを目撃した三日月湖に寄ってみるが、ピラルクーは不発。大型ミノーを引いていると小アタリはあるのだが、フックアップしない。かといってルアーのサイズを下げるとアタリもない。ルアーについた歯形から察するに、犯人は小型のピラーニャとマチュテだろう。そうこうするうちに「J」に戻る時間。これにて釣りは終了。
「V」に戻って釣具を仕舞い、翌朝のセスナでのフライトのために荷造りをしていると、今晩コミュニダドの人たちが広場でお別れ会を開いてくれるという。心遣いに感謝。またチチャをたっぷり飲まされるのはわかっているが、これがジャングルエリアでの最後の夜。なんか帰りたくないなあ。名残惜しいなあ。
現地7日目。迎えのセスナは9時半頃に着く予定。なんとなくスウィートホームのような感覚まで生まれた「J」コミュニダドを離れて「LC」へ。定刻過ぎに「LC」に着いたがセスナは未着。1時間以上待ってると、やっと空に黒い点が見え、やがてそれがセスナのカタチに。荷物を積み込み、見送りにきてくれた「J」の人たちにお礼とお別れを言って空へ。結局7日もジャングルエリアにいて、釣りはたったの10時間以内。ボーズすれすれの激貧果でしたが、旅行としてはこれまでで一番楽しいものになりました。当初冗談混じりに言ってた「釣具を担いだエコツアー」が現実のモノに。
空港からは首都まではバンでドライブ。キトに戻るドイツ人夫婦も一緒。運転手の気配りでちょっと小奇麗なレストランで食事をしたり、途中から合流した運転手の娘に日本語で名前を書いてやったりして楽しい道中でした。日本では年頃の娘と父親が仲良くしてる光景はあまり見ませんが、この親子は冗談言い合ってきゃっきゃっと笑ったりして微笑ましかったです。娘は交通状況をキトのコーディネイターに知らせて到着予定時間を調整したりと、仕事で乗ってきたわけでもないのにこまめに働いてくれました。事故渋滞やキト祭での通行規制もありましたが、無事夕暮れ時にキトの宿に到着。
シャワーを浴びた後は、現地コーディネイターのあゆさんと、前回自分たちが見つけてきたイタリアンの店で夕食。そしてせっかくなのでキト祭も見物。
その後、フリーの日はキトの新市街で過ごし、余裕をもって帰りのフライト。以前に滞在したことのあるエリアなので、少しは勝手のわかる街。民芸品のマーケットに行ったり、本屋で図鑑や自然関係の書籍を物色したり、通りをぶらついたり、広場に面した店でメシを食ったり。そんなことをしつつも、なんかジャングルエリアが恋しかったりして(笑)。んでもって、なんとなく後ろ髪を引かれつつ、日本に帰ってきました。
動物など
LCコミュニダドのお祭りにて
お食事など
珍道中?
お魚たち
Jコミュニダドのお別れ会
今回の旅程は現地コーディネイターからの情報をもとに自分が立てました。それを現地に打診して調整し、最終的にフリーライドアングラーズさんに渡しました。航空券等のいっさいはフリーライドアングラーズさんにお願いしました。
Special thanx to Ayu-san, Pascual Kunchikuy-san, Sergio, William, Silvia, Jacob, Mariela, People of Jatun Playa & Victoria & LC Comunidad, Daniel(driver Quito→Shell), Lewis(driver Shell→Quito), Joana(driver's daughter), Pilots(Shell ⇆ LC)
Main Camera:EOS50D+EF-S 18-200mm
Sub Camera:1030SW(Olympus)
Sun Glass:VANQ GAGA & EYE LUSH Lens Color:TV(Zeal Optics), MARDOC-X Lens Color:Smoke(Bouche)
*参考までに
受託手荷物総重量 ローリングダッフルバッグ100L(Mont-Bell):約22kg, AIR LINERロッドケース(Plano):約6kg
*今回デルタ航空の受託手荷物制限が変更。エコノミーは23kgまでの荷物1個だけ無料ということになりました。自分はバッグとロッドケースを預けたので、一方にUSDで100ドルの超過料金が発生。往復なので計200ドルも余分にかかりました。
今回の昆虫ならびに節足動物による被害
サンドフライ(ヌカカ):100箇所ぐらい刺される カ:10箇所程度刺される アリ:30〜40回ぐらい咬まれる ハチ:5回刺される 粉ダニ:80箇所以上皮膚下潜行
*同行のMIZ君もヌカカやカやアリには同数やられた模様。ハチに刺されてないかわりに、粉ダニが股間に100以上とマダニ風のヤツが1匹だそうです。ワタクシは今回は粉ダニによる股間潜入はゼロでした。腕と足はやられたけど。体長1mmに満たないこの手のダニには、徹底的に股間を目指すヤツらと、どこでもいいから手っ取り早く軟らかい皮膚に潜りたがるヤツらがいます。今回の粉ダニは痒みが随分マシ。跡もわりと早く消えて、約1カ月でほとんどわからなくなりました。楽勝楽勝♪ 痒みも痕跡もブラジリアン・ムクインの1/3程度。恐れるに足りず。
*ひどいムクインにやられた経験のある者にとっては「恐れるに足りず」というレベルであって、フツーの人には衝撃かも。昆虫や節足動物による咬傷を異様に嫌う方は、こういうエリアには近づかないほうがいいと思います。虫ヨケ剤や蚊取線香が平気なヤツもけっこういました。というか、蚊取線香の煙(熱?)に寄ってくるコバエの群れも。そうそう、アームバンド型の電池で薬剤を噴霧する虫ヨケ器は、なぜかコバエに大好評なことがあります。あの振動が好きなのか、群れ集まってくることも。この現象は日本でも経験したことがあります。
今回のその他のトラブル
チチャの呪い:毎日チチャを飲まされたせいで、「大」がバリウムを飲んだ2日後のような色に。最後に飲んでから本来の色に戻るまで2日半ほどかかりました。どーでもいいことやけど。MIZ君もこまめにトイレに行って確認してたようですが、やはりアトランタで明るい顔してトイレから帰ってきました。めでたしめでたし。
*殺菌してない現地のミネラルウォーターはもちろん、川の水を煮沸した水で作った「Tea」や、川の水で溶いたジュースを飲みましたが、日本人2名にはまったく異常なし。多分ですが、これは今回の2名が現地適応タイプなだけで、フツーの日本人やデリケートな人には、何らかの異常事態が発生すると思われます。コミュニダドの人たちは酒類もけっこう回し飲みだし、素手で混ぜたチチャを「はいどーぞ」と差し出される(もちろん1杯めは断ってはいけない)ので、そんなことをいちいち気にする人には、こういうエリアへの旅行はお勧めいたしません。ちなみにチチャはユカイモを女性が噛んで唾液と混ぜて発酵させたのが始まりです。最近は他の手段でも作られるようですが、LCコミュニダドの某女子は「これは私たちが噛んで唾液と混ぜて発酵させて作ったのー」と言ってました。多分からかってただけだと思いますが…。だって大型ポリバケツ20個分以上のチチャ、いちいちそんなことやってたら作れんやろが(笑)。