Monthly Whiplash

vol.228

Sep.2025

この雑記は適当にダラダラ書いているので、前回の原稿を渡した日(だいたい各月23日頃)の翌日から、約1カ月のことが出ています。今回の場合は7月26日から8月24日までです。

興味のある方はご覧ください

ABSインジェクションルアーは現在国内で1モデル、海外で3モデル進行中ですが、その国内モデル「VIOLATIN’WIRE(ヴァイオレイティン・ワイア) 145F」の電極が上がってきました。早速磨いて返送。次はインジェクションの1stショット待ちです。
すでにFacebookやインスタグラムにちょっとした動画(ABS切削ボディで組んだもの)がアップされていますので、興味のある方はご覧ください。シャッドシェイプの145mmボディは、かなりボリューミー。現在のところ、フックやリングも含めた総重量は60g弱です。動画で見ていただいてもなんとなくわかるとおり、操作性は意外に軽快。水に絡むスライドを展開し、スケート幅を犠牲にしないレベルの浅めのカップから、独特のサウンドと飛沫を発生させます。もちろん移動距離を抑えた誘いも◎。サイズのわりにアクションは多彩です。
GRINDIN’WIRE 13はボディ肉厚1.5mmに1.3mmのステンレスワイヤー貫通ですが、このモデルはボディ肉厚1.6mmに1.4mmのステンレスワイヤーを貫通させています。さらにリブを多めに配置し、ボディの強度を上げています。腹部には小型ブレードなどのアトラクターをセットできるように、NTパワースイベル#7を配置。純正トレブルフックのサイズは#1/0。スプリットリングは平打ち強化タイプの#5です。秋の大型スズキや青物だけでなく、大型ピーコちゃんや大型ブラックバス(←フエダイの)などの海外釣行にもどうぞ。

とんでもない暑さの中

ジョインテッドのサーフェイスクランクも現地工場でカラーサンプルが進行中。あれ背中のタトゥー(…なワケなく、ちょっとしたプリント)がちょっとちゃうぞ…とか、そこはマスキングしてくださいな…とか、突起のせいでプリントサイズを縮小せざるをえないとか、ちょっとした修正事項はありましたが、まあ、おおむね順調な感じです。秋には海外(といってもご近所)に持ち出して使ってみようかな…と。

お盆の少し前、とんでもない暑さの中、テストしなければならないモノがあったのでライギョのいる池に。17:30なのに34℃? 減水して水温が上がりきった池は、水生植物の上に群れる雲霞のごとき(←誇大表現…笑)コバエと飛び交うコシアキトンボ以外には生命感はなし。やっと日が暮れかけた頃に、遠くの深場の水面でライギョの呼吸が見られましたが、そのオープンエリアでは呼吸直後に垂直に近い角度で潜るので、手の出しようがありません。さらに暗くなって視界がほぼ効かなくなる直前に、やっと水生植物際で小さなアタリがあり、ちびライギョがルアーを消し込みましたが、結局それ1本のみ。テストにならず切り上げました。水温が下がる夜を過ごした後の早朝しかありませんね。さっとチェックして、人目が増える通勤通学時間帯までには釣りを終える…そんなやり方しかなさそうな…。もしくはこの暑さがおさまるまで待つか…。ちなみにこの日は22時過ぎに帰宅しましたが、その時間帯でもウチのあたりは32℃でした。

またいつか大型の魚を釣りに行こうと思います。とりあえず2023年に「100%野生の2m超100kg超を、自分のかかわった道具と自作ルアーで」という想いはクリアしたので、「小物釣師」の看板だけは下ろそうかと思っています(笑)。いや、まだ小物釣師気分が抜けないな。これではまだ大物とは思えないし、ましてや巨大魚とも思えない。大きさがすべてでないことなど百も承知ですが、なんというか圧倒されるような魚と、できるだけ未踏に近い自然の中で出会いたいな…と。キャッチしてルアーを外して、元気なうちに元の自然に帰ってもらう。いくら大きくても人工物の中とか、人家の近くとかいうのは個人的にちょっと違うのでパス。そしてそういう魚と出会った時も、騒がず取り乱さず、冷静にことを運びたいなと思います。さあいつかな、来年か再来年ぐらい?それまでは、やり残している小物&中物がいろいろいるので1種類ずつ…。それらも非常に楽しみです。

それ以外には、釣り方にもある程度こだわりたいですね。やっぱりルアーをキャストして釣りたい。ルアーを食う可能性が極めて低い魚の場合は仕方ないけど。この春にウエストパプアのブラックバス釣りに行きましたが、この魚、トローリングでやる人もけっこういるそうです。ただ、そういうのは個人的に趣味ではないので、すべてキャスティングだし、キャッチした魚の半分以上はトップウォーターでした。「釣り方はどうあれ1匹は1匹、ワームであれトップであれ1匹は1匹」という人もいるし、それを否定する気はありません(実際データとしてはその通り)が、やっぱり好きな釣り方で、好きなルアーで釣った魚は、個人的にうれしさが違います。

短期海外出張に行ってきました

短期海外出張に行ってきました。渡航先は自分が住んでいるあたりより温度もマシで、暑いといっても耐えられる程度。15年ほど前はウチらのあたりもこんな程度だったような…。工場見学をさせてもらい、技術的な話も聞かせてもらい、ためになる出張でした。Ruanさん、女性スタッフの方(名前の発音がわからぬ)、Wangさん、現地エージェントのDingさん、そして日本の商社のKさん、とてもお世話になりました。ありがとうございました。

帰国時も日本は激暑でした。関空に降りて空港リムジンバスに乗ろうと、ターミナルビルから出た瞬間「ここは蒸し風呂か!?」と。その翌日「たまらんな、この暑さ。なんかおかしいんとちゃうか…」と思っていたら、兵庫県丹波市柏原で国内最高気温を更新。なんと41.2℃だそうだ。宝塚と柏原はそこそこ離れていますが、いやいやウチのあたりも耐えがたい暑さで…。でも、あっという間に伊勢崎市が41.8℃を記録して更新。
ちなみに自分が出した最高の熱は、お医者さんが計測して40.2℃です。まだ4歳だったし、ちょっと危なかったらしい。夜に家にお医者さんが往診に来たし、みんな深刻な顔をしていたので、子供心に「なんかヤバイんちゃうのかな…」と思ったのを覚えています。そのあと結核菌が入ったらしく、肺に陰ができて、ちょっと騒ぎになりました。複数の薬を日に数度服用しなければならなかったので、半年以上家の近くでしか遊ぶことができませんでした。無事治ったんだけどね。

ゴリマッチョvs細マッチョ

先日飲みに行った際に、友人たちが「ゴリマッチョvs細マッチョ」という話をしていました。彼らはジムに通いこんでいてゴリ派志向だそう。いざという時にはヨメを担いで走って脱出…なんてことをするためには、ゴリでないといかんそうです。ワタクシはジムにも通ってないし、ゴリでも細でもなく、まして日本でいうところのマッチョというタイプでもなく、彼らの話を「ふんふん、なるほど…」と聞いていました。自分の場合は、自分が必要とする最低限のパワーとスピード、柔軟性だけは身につけておきたいというレベルなので、今やってる宅トレ程度でいいかな…。それと年齢による体の劣化を少しでも遅らせたいです。人に言われて参考までに測ってみたけど、上腕回り何センチが目標…なんてのも全然ないし。

気がついたら山岳渓流に行きそびれたままお盆。でもやっと8月末に行く予定ができました。たいしたところではないし日帰りだけどね。

位牌を拭き、仏壇を掃除し、お供えをし、迎え火を焚き、送り火を焚き…と、いつものように盆が終わりました。自分はけっこう夢を見る方で、というか、けっこうその内容を覚えている方で、この盆には亡き父と母がそろって部屋に入ってきて「今からサッカーを観にいってくるわ」と告げる夢を見ました。両親ともにサッカーにはまったく興味なかったのに(笑)。荒唐無稽ですね。今回に限らず、よく親は夢に出てきます。たまに祖母もふたり出てくることもあるし、一緒に暮らしていたネコも3匹ともよく出てきます。
係累や飼ってたネコが出てくる夢は、だいたいにおいて穏やかな夢です。でもそんな夢の回数に負けず劣らず見るのが、野生動物が襲ってくる夢や、目的地に行けない夢、家に帰れない夢です。これは不安を抱えているから、それが夢になるというより、予行演習的なものを夢の中でやっているらしいです。たとえば野生動物が襲ってきた際にどう対処するか…とか、どうやったら目的地に行けるかとか、どうやったら知らない場所から家に帰れるとか…。その昔ジークムント・フロイトの『夢判断』という有名な書があり、心理学に興味があった学生の頃(一時期心理学科に在籍、そこは臨床心理中心で分析学がなかったので、転科試験を受けてヨソの学科に移籍しました)に何度か読み返しましたが、現在は夢にかんする分析もずいぶん変わったようです。『夢判断』が発表されたのは1900年、そらまあ変わるわなあ。

80年になるのだそうだ

平和式典での広島県知事のスピーチに興味があったので。あらためて全文を読み直した次第。「自信過剰な指導者」や「突出したエゴ」の持ち主、「高揚した民衆」はこのスピーチをどう思うだろう?

80年になるのだそうだ。自分が生まれたのは戦後19年。戦後を思わせるようなバラックも少しあったし、防空壕跡もあったし、西宮浜の防潮堤などには、機銃掃射の痕が残っていました。梅田には傷痍軍人の方もけっこういて、白装束でお金を乞うていました。親父の知り合いのテストパイロット(←新明和の飛行艇の)の方は、戦時の戦闘機乗り。顔には弾丸がかすめた傷がありました。実際に戦地に行ってきた人から、燃える家の中に子供を投げ込んで笑っていた兵隊の話、軍刀による捕虜の処刑を見た話などを聞くこともありました。
80年、戦争を経験した方は減り、隠されたまま消えていった事実もあり、明るみに出た事実もあり、しかし、そんなことに興味もなく、各地の空襲も広島も長崎も沖縄もどこ吹く風…な世の中に変わりつつあるように思います。そして嘘も100回言えば真実に変わる、声高に叫べばそれが真実なんて、恐ろしいことを広める人もいます。南京の虐殺はでっち上げ、捕虜の惨殺はなかった、民間人への凌辱もなかった、人体実験もなかった…そんな声もあちこちから聞こえてきます。自分はその現場にいなかったから真実はわかりません。でも規模はどうあれ、きっと何かあったんだろうと思っています。すすんでやったのではない、上からの命令で致し方なく…やらなければやられるので致し方なく…やった側もある意味、戦争の被害者…。年老いた戦争体験者が、勇気を振り絞って、そこで見た「都合の悪いこと」を話すと攻撃されるのか?日本人の恥とまでいわれるのか?事実に向き合ったばかりに誹謗中傷を受けるのか?事実を調べようとしただけで脅迫を受けるのか?自分は今の日本を少し不気味に思うし、この国の将来に不安を感じています。でもそういうのは昔も今もですよね。

関税上乗せ騒ぎ。事務手続き上の…とかいう説明がありましたが、それが本当なら米国の政権とその周辺のポンコツぶりが露呈するだけですね。こんなことが政治で発生していいのか?ひょっとしたら事務手続き上の間違いではなく…?

ビアク島の夕景

なにはともあれ、ウクライナ侵攻が終わってほしい。そしてガザに平穏を。報道を見るたびにそう思います。

表紙写真は第二次大戦で「北のアッツ、南のビアク」ともいわれた、壮絶な戦いのあったビアク島の夕景です。ヤペン島からの帰りのフェリー内で話をするようになった若いエンジニア(彼はニューギニア島近くの小さい島で生まれ育ったそうです。とても美しいところだよと自慢していました。故郷を自慢できるっていいですね)は、自分が日本人であることを知って、「World war, America, Bombs, Caves, Japanese Soldiers, Killed, Die, in Biak island」と話し、「Memorial Caveには行くのか?」と尋ねてきました。「(…軍本部が設置された西洞窟のことではないだろうし)Cave Attractionsのことだな、そこは知っている。地図で調べたよ。空港(旧日本軍の飛行場もこのあたり)からほど近い場所だが、今回は残念ながら時間がない。本当は手をあわせに行きたいのだが…」。ビアク島では日本側だけでも12000人以上の戦死者が出て、まだその半数ほどの兵隊さんが帰れずに眠っているそうです。この海の美しい夕景を眺めつつ、そしてジャングルの中の美しい川をカヤックで移動しつつ、こんな風景を兵隊さんたちはどんな想いで見たのだろうか…と思い、ことあるごとに哀悼の意を表した次第です。ビアク島の戦いが終わったのは1944年8月20日となっています。はや81年…。

相変わらず猛暑日が続いていますが、日没後の昆虫の声は確実に秋に向かっています。
家の周りではエンマコオロギやツヅレサセが鳴き、近所の河川敷ではマツムシが鳴き始めました。異様な暑さもあと少し?

最近の!!な試合

★UFC319ミドル級選手権 ドリカス・デュ・プレシvsカムザット・チマエフ
全局面で無敗の挑戦者チマエフが王者デュ・プレシを圧倒。うーん、ここまで差があるか…。チマエフは以前のヌルマゴメドフ並みかも。誰が対抗できるのか…。
日本ではフライ級のティム・エリオットvs朝倉 海選手の試合が取りざたされることが多いですが、1Rの打撃はよかったものの、終わりの方では読まれてきてたかな…エリオットはプランをグラウンドのレスリングに振ったかな…と。2Rはやはりそう来たか…という感じ。エリオット選手の変則性と極めの強さは、ベテランらしくて見事。第1戦もそうだったが、グラウンドでの脆さを露呈した感じ。

最近の愛読書

★ペリリューー外伝- 1~4 武田一義著
外伝の第4巻が出てこれにて完結ということです。個人的に「外伝」の中で最も印象深いのは、3巻の「ALL ABOUT SUZY」。劇場アニメが公開されたら観にいくかどうかはまだ決めていません。

最近の珍事件

★特になし

最近のお買い物

★南部鉄器の風鈴追加
先月買ったのと同じ風鈴の色違いを購入。寝る部屋の近くに吊りました。台風の時などは、部屋の中から手を伸ばせばさっと取り外しできるように、カラビナを介して軒に下げました。うん、気分的にとっても涼しい♪ 自分はメタルやハードロックが大好きですが、和のわびさび文化も好きだし、日本に古くから伝わる様々な風習も好きです。

SOUND CORNER Vol,228

『BLIZZARD OF OZ』

OZZY OSBOURNE

BLACK SABBATHのみならず、あらためて大きな歴史が終焉したことを実感している。こんな言い方もなんだが、OZZYさんの最期はあまりにも見事というか、羨ましさすら感じるものだった。OZZYさんのソロといえば、この『BLIZZARD~』が始まりだった。この頃自分は高校生だったが、IRON MAIDENすら若手であった時代で、まさにNWOBHM(New Wave Of British Heavy Metal)旋風が引き荒れていた。なのでエドワード・ヴァンヘイレンみたいな桁違いの人を除いては、注目若手ギタリストもブリティッシュ系が中心だったと記憶している。個人的にはTYGERS OF PAN TANGが好きで、故人になってしまったがジョン・サイクス師のギターにはシビレたものだ。そんなときにクラスのM君が持ち込んできたのが『BLIZZARD~』であった。彼は高校生なのにゴールドトップ・レスポールのコピーモデルを愛用という渋めの趣味をしていたと記憶している。そこで耳にしたのは、SABBATH時代に比べ陰が消え、より明るく響くOZZYの声と衝撃のギターワークだった。よく聴いてるとボブ・ディズリー師のベースもめっちゃカッコいいのだが、それはここでは割愛。その故ランディ・ローズ師のギターについてはいろんなところで語り尽くされていると思うので、シロウトとして詳細には触れないが、OZZYさんの声とのコントラストは恐ろしくカッコよく響いたのだ。また、いくつかの曲における歌詞も現実的なもので興味深かった。一読したところオカルティックな「Mr. Crowley」だって比喩かもしれない。のちに歌詞の多くはベースのボブ・ディズリー師によるということが知られるが、書き手はともかく(おそらくかなりOZZYに寄せて書いていたのだと思う)、様々なコントラストが強烈なインパクトを放っていた。完成度や一貫性ということなら2作目の『DIALY OF A MADMAN』のほうが上だが、楽曲がより瑞々しいパワーを放っていたのは、この『BLIZZARD OF OZ』だと思う。OZZYさんにとってはMADMANキャラの開始点であり、メジャーな世界への一歩であり、ランディ・ローズ師にとっては出世作であり、自分にとってはおそらく永久的な愛聴盤のひとつである。

BLIZZARD OF OZ

最近の愛聴曲

全曲『DIALY OF A MADMAN』 / OZZY OSBOURNE
全曲『TRIBUTE』 / OZZY OSBOURNE
全曲『BARK AT THE MOON』 / OZZY OSBOURNE
全曲『THE ULTIMATE SIN』 / OZZY OSBOURNE
全曲『NO REST FOR THE WICKED』 / OZZY OSBOURNE
全曲『NO MORE TEARS』 / OZZY OSBOURNE
全曲『OZZMOSIS』 / OZZY OSBOURNE
全曲『BLACK RAIN』 / OZZY OSBOURNE
全曲『SCREAM』 / OZZY OSBOURNE
全曲『ORDINARY MAN』 / OZZY OSBOURNE
全曲『PATIENT NUMBER 9』 / OZZY OSBOURNE
CRAZY TRAIN / OZZY OSBOURNE『BLIZZARD OF OZ』
OLD L.A. TONIGHT / OZZY OSBOURNE『OZZMOSIS』
MAMA, I’M COMIN’ HOME / OZZY OSBOURNE『NO MORE TEARS』
オジーさん、家に帰ったのかな。熱狂と哀愁と幻想をありがとう。
RUNAWAY FROM YESTERDAY / MAKE-UP
2010年にギターの松澤氏が亡くなって、ここにきてVo.の山田信夫氏が…。抜群の歌唱力が印象的でした。故・樋口宗孝氏作詞作曲の「RUNAWAY~」は浜田麻里サンも演ってますが、自分はMAKE-UPバージョンの方が好きでした。山田さん、同い年やったんやね…合掌。
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